「黒様ー。ぴんぽーん!」
「おう・・・・ってオイ!口で言ってどうする」
あがっちゃいましたー。と笑顔で科学教師は言うと、ダイブ!とうれしそうに飛び付いてきた。
玄関の前どころかここは寝室だということと、今まさに寝ようとしていた体勢だったことは、完全にスルーしているようだ。
「酒臭ェな、オイ」
すん、と金色の髪に顔を近づけると、ふわりと酒の匂いが漂ってきた。どうやら酒盛りでもしていたらしい。
「いやーもう大変でねぇ。ユーコせんせーとモコナのダブルタッグで、もう次から次に酒も肴も消えてっちゃって。
ていうか初めてだよー。俺がつまみ作り班に駆り出されたの。四月一日くんが逃げちゃったらしいよー」
「こっちも大変だったぞ。お前の弟が飯食ってる間、一言も喋らなくてな」
「えー? でもユゥイが今日、黒りんの前でタメ口で喋っちゃって恥ずかしかったって言ってたよー?」
科学教師は、矛盾! ハッ! 浮気の香り! と至極楽しそうにぎゅうと力を込めて抱きついてきた。
「するわきゃねぇだろ。阿呆か」
こんっと頭を小突くと、ぱっと目を開いた後細めて、うれしいなぁと笑った。
その後、自分より先に弟に会ってきた事に少しだけむっとして、もう一発食らわせてやる。こんっ。
「っていうかねー。なんかユーコせんせーが、俺の料理って料理好きの新妻の味がするって言うんだけどー。褒められてるー?」
「あー・・・。そうじゃねぇのか。料理好きって付いてんだろ? そこそこ上手いってこったろ」
「あっ凄い微妙なお返事! くそうこいつめ。ユゥイのと俺の、比べちゃだめでしょー」
えいえいと肩を叩かれながらぼんやりと新妻姿を思い描いてみる。なんとなく似合う。
「でも今日の肉じゃがは、お前の作った方が美味かったぞ」
途端むっとした表情になると、えいえいとまた肩を叩かれた。
「つーか和食系全部な。お前の弟が逆立ちしてもお前のより上手いのは作れねーと思う」
「なっ」
科学教師が座っている自分に寄りかかる形だったのを逆転させて毛布に押し付ける。
一瞬ぐんと腕をはってみせたが、力の差を考えてかすぐに脱力した。それでも目線は睨みが混じっている。
「怒るなよ」
「やだ」
「なんで」
「だって、ご飯作るのが上手なのはユゥイだから」
「俺が味音痴とでも言いたいのか」
「そうじゃなくて、」
口答えしようとする金の頭を毛布で自分諸共ぐるりと巻く。ぼすん、と体全体で敷布団の弾力を感じながら、相手を引き寄せて抱いた。
んー、とも、うー、ともつかないような声で反撃するようにぽすぽす叩いてくるので、口を閉じさせた。
「こ、この状態でちゅーしないでくーだーさーいー」
「近いんだからいいだろうが」
「そーゆう問題じゃなくて」
「あんま動くなよ。毛布の長さが足りねぇ」
まだ黙る様子が無いのでもう一度閉じさせる。真っ赤になってどすどすと叩いてきたが、いきなりぴたりと止まった。
不思議に思っていると、いつもは饒舌の癖にやけに歯切れの悪そうに口を閉じたり開いたりを繰り返す。
なんだ、と聞こうとした瞬間、科学教師から出てきたのは
「ごっご、めんっ!、ねっ!」
「は」
まるで幼稚園児の謝り方だった。というか、そのもの、というか。一気に気が抜けて阿呆みたいな声が出てしまった。
次に謝った理由が飛び出してくるかと思ったらまた口を閉じたりを繰り返す。
だんだんコレでも言うほど顔が真っ赤になっていくのを少し珍しい気持ちで眺める。
すると意を決したようにする、と両の手の平で此方の顔を挟むと、
「かお、痛くないっ」
と言い捨てるように言った。真っ赤な顔で潤んだ瞳は拝み物だが、言った言葉が意味不明だ。
痛くない? そりゃお前が怪我してねぇからだろ・・・。というか今まで顔どこかに傷があるなんて聞いていない。
めまぐるしく思考を回転させた結果、ある事に気が付いた。
そういえば、朝、殴りあいになったな、と。
あーと決まり悪そうな声が出てしまう。あまりにもその後の仲直り、というか、関係の修復が自然すぎてすっかり頭から抜け落ちていた。
相手は外傷がほとんど無いが、そういえば此方は目じりと頬骨の間に打撲が出来ていた。
目立つところに怪我をさせた向こうとしては気になるか。
「安心しろ、全然痛くねぇから。あと、語尾に?をつけろ。?を。一瞬何の事かわからなかったぞ」
「ごめんなさいー?だってすごく痛そうなんだもんー?あんまり痛そうだから、一瞬泣きそうになったもん俺ー?」
「お前なぁー」
全然可愛らしくないのでぐしゃぐしゃ頭をかき混ぜてやる。すると、やー、と反撃するように此方の頭を同じようにかき回してきた。
「だってさ、」
一際大きくぐしゃりと頭をかき混ぜて、
「喧嘩ってあんまりやった事無いんだもん」
ぽつり、と呟かれた言葉が、なんとも愛しいのと悲しいのとで一瞬手が止まる。
『喧嘩は互いの距離が近くないと出来ないのよ』と子どもの頃、喧嘩した黒鋼を慰めてくれた母の言葉を思い出しながら、もう一度唇を合わせる。
今度は大人しくなったので、力を抜いて枕にぼすりと体重を思い切りかけた。
「俺はな」
「何ー?」
「お前がいねぇと落ちつかねぇんだよ」
は、と言いながら途端また目を丸にして真っ赤な顔になったのを確認しながらゆっくりと瞬きをする。
すこし間をおいて不意打ちだーとかぶつぶつ言っていた科学教師は此方に顔が見えないようにか、此方の襟元に顔をうずめた。耳まで真っ赤なことに今気が付いた。
「あのね」
「何だ」
「ごめんね」
「なんで」
「ありがと」
「そうか」
ふふ、と嬉しそうに笑って、そのまま此方に抱きつくように右手を伸ばしてきた。
それを受け取りながら、此方もきつく抱き返す。
「あのね、俺、もっとわがままになっちゃうから。黒りんのせいだけど」
「そりゃ良かった」
なんで良かった、なの?と不思議そうに目を瞬かせた同僚を抱えやすいように体勢を変えた。
あー。
「やばい黒様。俺いま超しあわせ」
「奇遇だな。俺もだ」
ぎゃーと真っ赤になって顔を隠した科学教師の目じりに透明のしずく1つ。
見えない足音を追いかけて、